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金剛山赤不動明王院塾生 慈辨

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不安は何故起こる

不安は何故起こる

不安を感じる事は、誰しもあるだろう。
しかし、漠然とした不安感に捉われ、自身の精神まで不安の渦に包まれては、精神を病むだけで何の解決にもなりません。

むしろ、あなたの不安は何処から来て居るのか、どうして不安なのかを自分自身に問うてみる必要があります。

例えば、金銭的な不安なのか?
人間関係に不安を感じて居るのか?
夫婦間の不和から来る不安なのか?
職場に関する不安なのか?

人によって様々で在ろう。

しかし一言で言うなら、漠然とした不安感なら、忘れて美しい物を鑑賞し、美しい音楽を聴きなさい。
気持ちが癒されます。

そして、対処可能な不安感であれば適切な対応をお勧めします。

難しい事は言いません。

それも出来無いのであれば、ノートに不安要素を書き出し、優先順位を付けて一つ、一つ解決の努力をしていれば必ず無くなります。

但し、自分は貧乏だから苦しむのだ、自分は何々が無いから、とか言う悩みや不安感であれば、自分の傲慢さを反省する事である。

例えば、金が無い、金が欲しいと言う不安感なら、仕事を増やし、増やした分の収入を浪費せず貯金すれば良いだけである。

人間の欲望ほど際限のないものは無い。

私は20歳で親を亡くし、帰る家も無いところから今を築いて来ました。
決して平坦な人生ではなかった。

しかし、嘆いても泣いても、帰って来ないのが過去である。
ならば、前を向き、進むしか無いと考えます。

人生は學びの場。
楽しい事ばかりが続けば、人は學びを忘れて怠惰に生きるで在ろう。

怠惰に生きた者は、他を誹謗中傷する事で己れの存在感を示そうとします。
誠に哀れな生き方である。

これを指して、人生の無駄使いと言うのであります。

あなたの人生を輝かせるか腐らせるかは、あなたの心次第なのです。

それでも、迷い、不安が拭いきれない無い場合は私に相談して下さい。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

私もよく漠然とした不安に襲われます。
ほとんどは自分で努力して解決できるものとわかっています。
今回のお話を読んでより納得しました。
自分が努力していないことを。

怠けるというくせが抜けません。
人生の無駄遣い、ですね。。

教えていただきました。
ありがとうございます。
少しずつがんばります。

慈辨

by jiben | 2018-02-26 20:00 | 赤不動明王院より

理解と無理解



前回で霊界の事に触れたので、何故、霊界の事を理解せねばならないか?に視点を置いて以下を進めたいと考えます。

理解と無理解とは、穴があるのに無理解に阻まれ、穴に落ちるのと同じ事である。

無理解の人は、確かめもせず、そんなものは無いと否定します。
かたくなと言うより、傲慢である。

今の時代、自身が真剣に學ぼうとすれば、分からない事などほとんどありません。

与えられる事を待って居ては、将来必ず後悔するであろう!

例えば、何故、人は死を恐れるのか?
それは、死を理解して居ないからである。

死は怖い事、全てが終わる、全てが無に成る。と言う妄想と、霊界への無知から発生する根拠の無い間違った思想の影響である!

死を真剣に學び、真摯に受け止める時、科学が理解出来るはずです。

言わば、霊界否定は科学を歪曲して傲慢に論ずる、野蛮思想と同じであります。

私は、霊界を否定する者を信じません。
何故か?

霊界を否定して、供養も出来なければ信仰もままならないからである。

今、私をキチガイ坊主と言う者は、見て居るが良い。
当院には、普通の僧侶が持ち得ない経典群の宝庫がある。

やがて解読班の精鋭によって、原文と現代語に訳された経典が、近いうちに世の中に出ます。
その時、真実が理解出来るはずです。

その時に知っても、出遅れは縮まら無ない事が理解出来るはずです。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝

知っている、ではなく理解しようとすること。
私の日々の課題です。


by jiben | 2018-02-25 20:00 | 赤不動明王院より

死後の感覚



未だ、「人間は死んだら終わり」と考えて居る人の多さに驚いて居る今日この頃です。

様々な経典にも明記されて居るにも関わらず、未だ理解されて居ないのは何故か?
それは、経典を解読し、教える者が居ない事が原因である。

当院では現在、経典解読班の精鋭が密教の秘法を解読中であります。

巷には、様々な解説書はあるが、秘法の解読はなされて居ないのが現状です。

私はこの先、死後の解説が書かれて居る経典も、解読班の精鋭に任せようと準備中である。

何故、死後の世界が重要かと言う事を手短に説明すると、秘法は、霊界を否定して居ては本当の秘法を会得した事にならないからなのである。

それは、祈祷力は三次元の力では無く、霊界の力を借りて完成するからである。

従って、死後の世界、いわゆる霊界を理解せずには、真の祈祷力は発揮され無いと言えます。

それは、経典を完全理解した時、あなたにも解ります。

人間は、死後感覚が鋭利になります。
それは、肉体の衣を脱ぎ捨てた時点で、完全意識体に戻るからです。

ところが、死後の世界を理解して居ない人間が死を迎えた時、戸惑いしか無いのです。

何故、戸惑うか?
それは、「死んだら終わり」と言う不確かな幻想に支配された結果である。

死後どう変化するか細かく書きたいが、初めての方には衝撃が強すぎ、理解の範疇を超えてしまうので、密教塾で事細かに説明するにします。

密教塾の塾生は霊界について正しく理解を深め、自身の修行の糧とし、やがて祈祷力をつけて貰いたいと願います。
正しい道を歩んで貰いたいから、というのが私の本心であります。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


子どもの頃、死ぬということがむやみやたらに怖かったことを思い出しました。

死んだ後も“わたし”という意識はあり、「どこへいけばいいのかわからなくて天国へ行けなかったらどうしよう」という思いからでした。

肉体がなくなってからの死後の世界のことを勉強させていただけるご縁をいただけるとは思ってもいませんでした。
有り難いです。

子どもの頃のわたしに“大丈夫だよ。いつかわかる日がくるから安心していいよ” と教えてあげたいです^^

慈辨

by jiben | 2018-02-24 20:00 | 赤不動明王院より

先祖供養の大事



私達が忘れがちなのが、先祖供養である。

今、私達が存在して居るのは、親が居て、御先祖様が居たからなのです。

数学的見地から観ても、私達が個々に存在出来るのは、千人以上の先祖が居たからです。
その先祖を忘れ《親も含めて》唯、一人で大人に成れた訳ではありません。

よく、開運を願う人がおられますが、先祖をないがしろにして開運など無い事を知って頂きたい!

例えば、あなたが誠心誠意尽くした人が、あなたを忘れて自分が一番と豪語し、傍若無人に振る舞いました。
やがて運尽きて苦界に彷徨い、怨みの中に喘ぐとき、あなたは救いますか?
本気で反省した者には救いの手を差し伸べるかも知れませんが、生半可な者に差し伸べますか?

その逆に、普段から仏を尊び、先祖を敬う者が窮地に陥った時、あなたが先祖なら黙って居られますか。

南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝



私は仏壇のない家で育ちました。
“先祖供養らしいこと”と言えば“なんとなくお墓参り”をすることのみでした。

ですが、自分が生まれるまでには何百人ものご先祖様がいてくださったから命が続いている、と教えていただきました。
そこで以前から気になっていた家系図を作ってみました。

時間もお金も労力もかかる作業、1年2年ごしでの作成でした。
まだもう少しかかりそうなのですが…。


そして、そこに並んだご先祖様の名前。
生まれた場所、年、亡くなられた歳、いろいろな方がいらっしゃいました。

近しい祖母までは名前は知っていても曾祖父母からはほぼ初見の方ばかりでした。

この方たちがいらっしゃらなければ私はいない、と思うとなんとも不思議な気持ちです。

ご先祖様への感謝の気持ち、供養などこれからもっと心を向けていきたいと思います。

慈辨



by jiben | 2018-02-23 20:00 | 赤不動明王院より

魔の刻

誰でも経験があると思いますが一度ある事は、二度、三度とあった事。
良い事で有れば歓迎だが、良くない事が続いた時、あなたならどうしますか?

①気にせず過ごす。
②一日、嫌な気持ちで過ごす。
③用心して早めに家に帰り、静かに過ごす。

これは、③が正解である。

昔から間を外す《魔を外す》なのである。

意地を張り通すなら、好きな様にやれば良い。

但し、それに寄って人生を無茶苦茶にした事例を私は沢山見て来ました。

例えば《実話である》私が、君は一週間以内に事故《自動車》を起こすから、一週間は自分の運転に細心の注意を払うか、運転自体を自粛しなさい。
と、注意したことがある。

そうしたところ、裏で嘲笑っていたのである。

彼は3日後に事故を起こし、大変な償いをする事になったと親御さんから聞かされた。

その他、行ってはいけないパワースポットに行った事例。
他の者が落として行った物に憑依され、その後の人生を無茶苦茶にされた女性達。
私は、パワースポットは性が合えば安全だが、合わない事もある、と再三再四、言い続けて居る。
が、未だにパワースポットに無防備な状態で行く人が後を立たない現実に、警鐘を鳴らして居る。

簡単なものは、簡単な結果しか得られ無いのである。
真摯に修行を重ね、向き合う時に解るで在ろう。

いい加減な、怖いもの見たさは辞めましょう。

パワーなどと言うカタカナ言語を捨て去り、日本語の持つ言霊を真摯に學ぶ時、理解出来ます。

あなたは、何方を選びますか?

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


日本語というのは本当に不思議、素晴らしい言葉と思います。
同じ音でも違う意味を持っていたり、漢字が違えばまた違う言葉を表します。
そんな不思議な日本語だからこそ自分が発する言葉に責任を持たなければならないと思います。
言葉には言霊が宿り力がある。
1度口にした言葉は無しにはできません。
消極的、無気力な言葉は、その言葉を向けた相手だけでなく、耳から入り自分にも届きます。
そして心を蝕みます。
そうならないよう、自分で制御することが大事だと思うのです。


慈辨


by jiben | 2018-02-21 20:00 | 赤不動明王院より

新たな試み

新たな試み
これから真剣に學びを深めたい方々を対象に新たな試みを始めます。
私のがこれから教え様として居る事は、簡単に何々を教えますと言った、インスタント的な事では有りません。

言わば、専門祈祷全般を指す事である。
私も寄る年波、何時迄も現役では無い。
最後には、全てを伝える者が必要であり。
また、私が習い覚えた秘法を伝える為にも、必要である。

当院所蔵の経典群は、全て本物である。
その道のプロである、学芸員が認める文書ばかりであります。

現在、一部は、我が一門の精鋭に依り、現代語訳にする為、奮闘中である。

何故、現代語訳にする必要があるのか?
私や一部の者は、漢文でも簡単に理解出来ますが、一般の方々は、どうであろうか。

密教が理解されず、闇の中にあったのは、漢文とサンスクリットの難解さからである。

密教は本来、庶民救済。
皆さんが救われる為の教義なのです。

一部の特権階級だけが独占出来るものでも、するものでも無いのである。

しかし乍ら、難解なのも事実である。
また、伝授を受けるにも様々な制約があるのも現実であり、在家では灌頂もままなりません。

増してや、本物の経典《秘法》など夢のまた夢である。

何故か?

阿闍梨以上でなければ、観る事も教えて頂く事も出来無いのである。

これが密教界の現状である。
私は、これから庶民の為の密教を確立します。

そして、真剣に學ぶ方々の為に今回から新しい道を開きます。

真剣に學びたい方々は、御一報下さい。

お問い合わせ
by jiben | 2018-02-20 20:00 | 赤不動明王院より

躾躾とは身が美しいと書くが、本当の躾とは、立ち居振る舞いを含め、心の躾であります。

幾ら、着飾り、立ち居振る舞いが出来て居ても、心の躾が出来て居ない場合、本当の美しさは表現出来ません。

昔の言葉に、人品骨柄卑しからずと言う言葉がありますが、正に、言い得て多恵なるものがある。

金を持ち、着飾り、清楚を演じても、心卑しければ気品無し。気品とは、心が織りなすオーラ《後光》である。

オーラなど私には見え無いから関係無い、と考える方は別として、何故、仏像には光背がついて居るのか?

例えば、不動明王尊の光背は火焔。

大日如来尊の光背は円形。

それは、卓越した技量を有する先人達が後世に伝えるべく、能力を屈指して表した、芸術とも言える仕事のおかげである。何事にも言える事ですが、努力もせずただ安穏として居ても、得るものは無いばかりか、理解も及びません。

オーラを自身の眼で確かめたければ、訓練をする事である。
弛まぬ努力を重ね続ける事に依り、卓越した技量も身に着くのです。棚から牡丹餅など無いのだから。


南無大日大聖不動明王尊
蓮華合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


by jiben | 2018-02-18 20:00 | 赤不動明王院より

同氣法



私は、同氣法については何回も書いて居るが、改めて書きます。

それは何故か。

笑い話しになりますが、私の弟子の慈優との話であります。

様々な経典に関する話の中で同氣法についての話になり、慈優が私に問いました。

『同氣法には、経典があるのですか?』

私は笑い飛ばしました。


経典に無い事を私は教えた事が無いからである!

例えば、同氣法について、僧侶が『あるのなら出して見よ』と言うのなら、一言!

有った場合は、貴方は当院の下で、生涯務める覚悟がありますか?
あるのなら出します。

《当院の所蔵する文献は、全て国家が認める、学芸員が本物と認めた文献である》

但し、当院の所蔵する経典群を知らずに誹謗中傷した場合、それ也の償いをして頂きます。



私は本気である!
真面目に學ぼうとらする人々への冒涜を、私は許しません!



話はそれましたが、同氣法の経典はあります。

信用出来ない人は、来たれ!

お見せ申します。


但し、他を疑う行為には必ずお返しがある事をを知らねばならない。

御免なさいでは済まないのが、大人の世界である。

その逆に、真摯に學びたい方々の為には全てを公開します。

そして、多くの方々が真の密教を理解して頂くのが、私の最高の願いであります。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


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先生の真剣に学ぼうとする人への愛、密教をきちんと理解してほしいというお気持ちに対して、私はまだ真剣に向かえていないと思っています。

学ぶということがどういうことなのかも、実際わからないのが現状です。

ですが、先生、慈優さま、多くの塾生の皆様の気持ちには何か動かされるものがあります。

だから今はこんな私でも、「ここにいさせてもらって良いのだよね」と思わせていただいています。

少しずつ少しずつ、全ての人が穏やかに暮らせる日が来るよう祈ります。


by jiben | 2018-02-16 20:00 | 赤不動明王院より

いよいよ始動

当院所蔵の経典群が、解読班の精鋭によって現代語訳に解読される時が来ました。

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当院所蔵の経典群は全て300年以上前の貴重な資料であり、門外不出の資料ですが、密教の普及の為、全て公にします。

そして、真剣に密教を學びたい人々の為に役立てます。
最早、一部の人間が威張り散らし、有耶無耶な内に煙に巻いて居る時代は終わったのであります。

弘法大師空海が渡来して広めた密教を、誰でも學べる時代なのである。

昔の人は、まず読み書きが出来る人が少なかったので、必然的に経典を解読、理解出来なかっただけであり、古語を現代文と訳を付ければ、誰でも理解可能なのである。

越法だの、馬鹿げた迷信によって他見を免れた時代の遺物では無い、本物の経典を私は世に出します。
当院の資料《経典群》は、博物館の学芸員が見れば本物だと分かるものばかりである!監修などせずに、原文と現代文をそのまま載せます。

後は、皆さんの向学心の有無だけである。もちろん、向学心がある方々には、私が直接指導をします。

但し、不思議好みの方や、商売目的の方はご遠慮下さい。

真剣に密教を學びたい人々の為に、今回から始める事にしたのであります。
人間は學ぶ事に依り成長し、學びを実践する事によって解脱も可能になります。

机上の空論を大言壮語する輩は、私の寺には必要無いのであります。

真摯に學びを深めたい方々は、今から私の刎頚の友である。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


300年以上前の貴重な資料が解読され、公開されます。
語彙力が少ない私にとっては「ほんとうにすごいことだなぁ」の一言です。
向学心があれば誰でも勉強させていただけます。

日々の礼拝からまだまだ未熟な私ですがどんな内容なのだろうと気になります。
いつか拝見できる自分になれるよう、先ずは元気に日々を過ごし、何事にも真剣に取り組めるよう精進したいです。

慈辨


by jiben | 2018-02-15 20:00 | 赤不動明王院より

千体仏



私は、チベット密教の僧侶《ラマ僧》と30年前から親交がある。
現在はダライ・ラマに同行し、チベットには住してはい無い。
その事情は、少しでも歴史と国際情勢を知る者なら分かるはずである。

あの時代の弾圧を知った私は、我が身の無力さを恥じて涙した事を鮮明に覚えて居る。

何故いま、千体仏なのか。

空に輝く星を数えられますか?
千どころでは無い事は、誰にでも解ります。
千を地上に置いた時、一瞬で数えられる人は居ないように、凄い数である。

例えば、密教寺院の千灯供養。
仏教の千灯供養全て、供養心の現れである。

当院では、新たな千体仏供養を予定して居ります。

それは、チベット密教の僧侶の協力に依り実現します。
今この場では発表を控えますが、他の場所では実現が難しい事であります。

今、私は実現に向けて、奮闘中であります。

これを実現出来る事は無上の喜びであり、皆様に貢献出来ると信じて止みません。

実現出来た暁には、千が二千、星空の様に供養の心が広がる事を祈り、今日も祈りの道に邁進して参ります。

南無大日大聖不動明王尊
金剛合掌
金剛山赤不動明王院 院主永作優三輝


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いま、まるで神仏とは無縁のかたもいらっしゃると思います。
私も少し前まではそうでした。
ほんの少しのきっかけで信仰心は生まれると思います。

生まれるというよりは、もともと心の中にはきっとあるのではないでしょうか?
どんな人でも。

私にできることは日々祈っていくことです。
実際、集中できない日、手を合わせるのみの日もあります。
それでも心の中に仏さまへの気持ちはあります。

何がきっかけになるかはわかりません。
それでもこんなふうに少しずつ神仏に触れるかたが増えていけば良いなと思います。


by jiben | 2018-02-11 07:00 | 赤不動明王院より